誕生〜東大寺

 
建保5年(1217)7月16日屏風にて誕生。父は伴貞行、母は榎氏の出身。安貞元年(1227)11歳の時学問の為信貴山に上がる。貞永元年(1232)母の死。それを縁に額安寺に八ヶ月住し剃髪出家。
天福元年(1233)17歳で東大寺登壇授戒。その後も幼い頃から信仰していた文殊菩薩を篤信

東大寺〜奈良での活動

 
延応元年(1239)叡尊と出会い、十重戒・具足を受け、仁治元年(1240)西大寺に遁世して入寺下。その後叡尊と共に戒律の大切さを広めると共に、社会事業を行っている。寛元元年(1243)初めて関東に下向し、7月には帰寺。寛元3年(1245)には行基誕生の地という家原寺で別受戒を叡尊はじめ同法と共に受ける。

関東での活動

 
建長4年(1252)には関東への想いが強く師のもとを去り再び東下。時に35歳。
常陸の三村寺、鎌倉大慈寺釈迦堂・光泉寺・多宝寺とも関係し、幕府の要人とも交渉をもった。文永4年(1275)8月以前から縁のあった極楽寺に本願の七回忌を契機として止住する。
極楽寺に止住し、教化活動・社会事業・寺院経営等に精力的に活動を行う。
 
 

 入滅後の忍性菩薩

 
嘉元元年7月12日鎌倉極楽寺で大往生をとげる。嘉暦3年(1328)年5月26日には、菩薩号が朝廷より宣下され、以後忍性菩薩とよばれる。現代ではこの忍性菩薩のハンセン病患者の救済活動は鎌倉版マザーテレサともいわれ、忍性菩薩亡き後も文殊信仰に基づき、律僧たちはハンセン病患者の救済にあたった。
 
 

忍性菩薩生誕の碑

社会福祉の祖ともいわれるお坊さま

三宅町屏風の里の生まれ
建保5年(1217)屏風にて誕生
父は伴貞行、母は榎氏の出である
嘉元元年(1303)87歳、鎌倉極楽寺にて入寂
生前の行業により嘉暦3年(1328)菩薩号の宣下
 
忍性菩薩700年御遠忌を記念として生誕碑を建立

絵本 忍性さん

〜 笑顔のお坊さん 〜

平成15年に浄土寺で作りました忍性さんの絵本。
三宅町屏風の忍性さんを身近に感じてもらいたいと住職・能宏が監修し、作成。
どこにも売っていない、ただ忍性さんを知ってもらいたとお譲りしている絵本です。
忍性展でカラーになり、動画となり放映されています。
 
手にしたいお方は浄土寺に三宅町屏風へお越し下さいませ。一人一人手渡しにてお譲りしています。

映画 忍性

〜 NINSHO 〜

忍性菩薩の映画が秋原北胤監督の手で製作されました。2016年10月から公開されます。
 

忍性菩薩 座像

鎌倉極楽寺 模刻

鎌倉極楽寺の忍性像を模刻し作成中
仏師 吉水快聞師に依頼。
       平成28年末 完成予定
平成29年の生誕800年に
            浄土寺にて開眼法要を予定