三宅町 屏風
三宅は万葉集に詠われた「三宅の原」「屯倉道(みやけぢ)」「屯倉(みやけ)」という名前に由来し、屏風という地名は聖徳太子が名付け親とされています。聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮(おはりだきゅう)へ通われた道を「太子道」と呼んでいます。屏風はその真ん中に位置し村にある白山神社(はくさんじんじゃ)は太子が休憩をされた場所として「腰掛石」というものが残っています。休憩をされた際、当時の村人が太子をもてなし、屏風をたてて風をしのいだことから「屏風」と名付けられました。それが屏風の里であります。
浄土寺
かつて屏風寺という寺院がこの屏風の地に存在し、現在はお念仏を継承する浄土宗の寺院として浄土寺があります。平成10年4月に改築
ご本尊は阿弥陀如来座像。
平和の鐘と名付けられた釣り鐘があります。
毎日正午12:00に平和を願い撞いています。